【備忘録】カルナータカ州創立記念日によせて:マイソール王国の歴史その1
某マルクスパイセンが「歴史は繰り返す」って言っていたけど、けっこーその言葉尻だけは信じている口です。「11月1日」はバンガロールが州都として所属しているカルナータカ州の祝日(州創立記念日)ということでカルナータカ州は全般的に休みってことらしいです。今更ですが、この州の歴史を近世くらいまで遡ってみようと思います。
(意外と分量が多くなってしまったので何回かに分けるかもです。)
1.カルナータカ州成立までの流れ
州としての成立までの流れをざくっとまとめてみますよ。
1-1カルナータカ州成立年表
【年表】
年 | 出来事 |
1947年 | マイソール藩王国のマハラジャがインド連邦への合流へ合意(サイン)、マイソール州成立。州都はバンガロールに設定される。 |
1956年11月1日 | States Reorganisation Act(インド州再編成法)により、マハラシュトラ州などからカンナダ語圏が加わり、今の州のエリアが確定。 |
1973年 | マイソール州からカルナータカ州へ州名が変更。 |
この1956年11月1日が記念日に制定されたっぽいですね。使われているローカル言語で州を再編成して地方自治をしやすしくようとしていたみたいです。カルナータカ州ではカンナダ語がメイン言語として見なされたようですね。
1-2カルナータカ州の州旗
調べてみると、カンナダ文化の象徴として州旗構想があったみたいですが、中央政府との関連で沙汰無しになっているような感じですかね。てか国民会議派よりだった州政府から与党BJP寄りの州政府に変わったら、「いやインド国旗あるでしょ!」という展開になったくさいですね。黄色・赤が基調になっているみたいですね。
州旗で思い出しましたが、州旗を模したご当地メニューということで、「バンガロール」巻き寿司も各種和食レストランで楽しむことができますよ!
2. マイソール王国って何ぞや
では、マイソール王国とは何ぞやってところからまとめていきましょうか。もしかしたら、「カーナティック戦争」、「マイソール戦争」、「マラーター同盟」とか聞いたことあるかもです。とはいえ、インド史自体があまり受験とかで出てこなかったから、ムガル帝国のアクバルから歴代皇帝くらいまでが皆さんのインド史イメージなのではないかと思う次第。
2-1 マイソール王国概要
大雑把にまとめると、14世紀から20世紀中ごろ(インド独立)まで南インドを支配していたヒンドゥー王朝ですね。途中、イスラム系宰相に牛耳られて傀儡化したり、スルタンって名乗る王様もいましたけど、ほぼ一貫してヒンドゥー王朝ですね。領域国家として南インドで強勢を誇っていたという感じですね。
【マイソール王国のエンブレム】
この双頭の鳥は「Gandaberunda」と呼ばれているみたいですね。双頭の鷲はローマ帝国由来ですので、「双頭」という意味においては類似しているのかもしれませんね。南インドでの帝国的なニュアンスで使っていたのでしょうか。ちなみにこのエンブレムは今でも州政府の紋章として継続利用されています。
引用元:https://www.karnataka.gov.in/English/Pages/k-departments.aspx
2-2 イギリスとの戦争:マイソール戦争(1767年 – 1799年)
18世紀後半にマイソール王国が大英帝国(東インド会社)による侵略(植民地攻勢)に対して4度に渡る戦争を経て支配下になった事象です。合計4回中、最初の2回はマイソール王国が優勢のまま終わり、残りの2回でイギリスに負けて支配下に敷かれることとなりました。
この戦争の特徴&戦後処理としては、
- 欧州大陸でのイギリスとフランスの対立(第二次百年戦争)がそのまま代理戦争ちっくにインドでも展開されました。マイソール王国はフランス軍事顧問団の支援を受けて、イギリスと闘っていた印象です。
- マイソール王国は他のインド系国家(ハイデラバードのニザム王国)と提携してイギリスと闘っていたけど、最後のタイミングで逆にイギリス側へ裏切られてしまい、多勢に無勢状態になってしまった。
- ちゃんと近代化していたから、マイソール王国単体でもけっこー強かった。
- 戦後、イギリスはマイソール軍を解散して、藩王国化するもマイソール王国から内政権を接収。反乱を警戒して、バンガロールに行政府を置いて、駐屯軍も設置した。ここからバンガロールの発展というか特徴が出て来たんかな。
2-3 軍事国家としてのマイソール王国
また、マイソール王国の英語文献や記事を見ていると軍事的に強かったみたいですね。特にティプー=スルタンの「ロケット兵器」が有名ですね。鋼製のロケット兵器で火薬つきで発射して爆発する仕組みのようです。
*再現動画ですが、5分くらいから実験が動画になっています。
当時、大砲か小火器がメインだったので、ロケット兵器は斬新だったかと。少なくともアジア圏内では似たような兵器はなかったはずです。中国の火槍とかもありましたが、威嚇用であまり攻撃力は高くなかったですね。
【使用シーン】
文献とかによると、この装備を持った兵士を5000人ほど抱えていたので、当時のマイソール王国は1)その技術を製錬できる基礎研究が充実している、2)技術を開発できるだけの資金がある=体制が整っている、と考えられますね。
2-4 ティプー=スルタン
マイソール戦争や植民地化前後のネタを調べていく中で、ティプースルタンは避けては通れない感じがしますね。街中にもちょいちょい記念銅像的なモニュメントが散見されていますし。
彼を名君たらしめているポイントとしては、以下でしょうか。
- 殖産興業を奨励した。
- 4回のマイソール戦争のうち、2回イギリスに対して優勢になった。
- 反イギリスを貫いて戦死した。
- 「マイソールの虎」の異名を持ってイギリスからも警戒された。
- 異文化に精通しており、様々な外交儀礼を学んでいた。
個人的には、今までまとめてきた基礎的な素地があったから、今のハイテクシティバンガロールができたのではないかと思う今日この頃です。次の記事ではもうちょっと現代に話を巻き戻して歴史をおさらいしてみます。