インド在住の日本人Twitterリスト(西インド編)
ということで、南インドのTwitterリストに続いて西インド地域に焦点をあてます。
ムンバイを中心として、プネやアーメダバードらへんになるでしょうか。見ていきましょう。
【前回の記事:南インドの日本人Twitterリスト】
【抽出方法】
・インドの適当な都市名でTwitterを検索して、在住しているアカウントをピックアップ
・プライバシーの関係で鍵付きアカウントは除外
・1年以上更新のないアカウントも除外
・ただのRT用アカウントも除外
【留意点】
・ただのリストです、フォロー&アンフォローは個人のご自由に。
・ブログ等もあれば追記しています。
・カバーしきれていないかもです、悪しからず。抜けているってありましたらご指摘願います。
では、いってみましょう。
1.ムンバイのTwitterリスト
1-1@sarahhiroko
1-2@chankomeppy
ブログもありますねっと。
1-3@tsubtuowa
有名なインドのYouTubeチャンネル、「今日ヤバい奴に会った」ですね。
1-4@yushikanbe
1-5@carpediem_530
*Nashikですが、ムンバイと同じマハラシュートラ州なので同じカテゴリにしました。
1-6@tom_8605
1-7@sakusaku_7
社会福祉の観点でリアルなインドが描かれていると思案します。
2.アーメダバードのTwitterリスト
2-1@SatoIndia
2-2@n_indialife
南インドに比べるとやや少ないといった印象でしょうか。西インド方面のTwitterアカウントで抜け漏れがありましたらご指摘願います!
インド在住の日本人Twitterリスト(南インド編)
文科系男子なので、ネットサーフィンは日々の嗜みです、ええ。
この1年でインドアカウントが増えてきたのではないかと思う今日この頃なので、改めてインド在住の日本人Twitterをまとめてみようと思うわけです。
【抽出方法】
・インドの適当な都市名でTwitterを検索して、在住しているアカウントをピックアップ
・プライバシーの関係で鍵付きアカウントは除外
・1年以上更新のないアカウントも除外
【留意点】
・ただのリストです、フォロー&アンフォローは個人のご自由に。
・ブログ等もあれば追記しています。
・カバーしきれていないかもです、悪しからず。抜けているってありましたらご指摘願います。
意外と人数が多いので、インドの地域ごとでなんとか分けてみます。
まず、おいらのおひざ元のバンガロールを中心に南インドエリアをカバーしようかと思います。バンガロール、ハイデラバード、チェンナイの3つですね。
1.バンガロールのTwitterリスト
1-1@shojishoji_in
1-2@kumartaro2018
ブログもあります。ホワイトフィールド生活記っすね。
1-3@YamachandraG
1-4@mune_1999
1-5@saitokota0627
1-6@holysake
1-7@museindia
1-8@ito_futoshi_
1-9@Taku_JB23
1-10@Hiroto_tantanpu
1-11@nao_IFI
1-12@EtoMunehiko
1-13@gang_m
映画記事がすげぇっす。
1-14@Chihiro_Suzuki
2.ハイデラバードのTwitterリスト
2-1@ISB_India_Japan
2-2@dai_uni
3.チェンナイのTwitterリスト
3-1@asia_kaigailife
本アカウントに紐ついている、このブログもインド生活やインド就労のリアルをありのままに書いていています。
3-2@Shogo_gowest
インド紹介動画を発信しているインド系Youtuberであるチャロブラ―ズですね。
3-3@TanaKKEI
会計&生活系ブログの「INDIA GO!」もどうぞ。
3-4@nao1979chennai
取り急ぎこんな感じですが、バンガロール、チェンナイ、ハイデラバードの順でアカウント数が推移していますね。日本人在住数が違うからまぁそうなんでしょうね(小並。
次は北&東インドか西インドエリアに絞ってTwitterアカウントをまとめてみますかね。
「インド ブログ」で読んでいるブログリスト
ええ、インドア派たるもの、ネットウォッチは頻繁に実施しています。
いつも書いている自分のインドブログも以下のポイントを気を付ければいいものができるのではないかなぁと思い、遅筆になりがちになってしまうので、気を付けねばと思う今日この頃。
- 脚色なし
- 英語メディアのただの翻訳は避ける
- 自分の体験を入れる
- まとめならまとめと割り切る
- 分析するならがっつり目に
- 読者に役立ちそうな情報を盛り込む
ということで、個人的に講読しているインド系ブログをリスト化してみましたよと。バンガロール系のブログとはまたカテゴリが少し大きめになりますかね。ちょうどよく、北インド(デリー)、西インド(ムンバイ)、南インド(バンガロール)、と分かれましたねw
では、いってみましょう。
1.インドで生きるということ/a Japanese living in India
デリー(北インド)在住。インド現地採用の光と闇をオブラート無しでがっつり分析されているので、いつも更新が待ち遠しいブログの一つです。Twitterもあるようです。
【リンク】
【おすすめの記事】
ど直球である、インドの現地採用関連の記事更新を熱望していますw
2.ちゃんこめBlog
ムンバイ(西インド)在住。極めて実用的な記事(インドの生活ですぐに活かせそうという意味において)がたくさんあります。インドの日常生活に近い記事が多いので、読んでいて有難いです。
【リンク】
【おすすめの記事】
インドローカルのATMトラブルについての記事ですが、「インドローカルの銀行、まじでやべぇ」と戦慄しました。自分も気をつけようと思いました。
3.バンガロールで働く会社員のブログ
バンガロール(南インド)在住。「誰だろうw」と思うところですが、記事がかなり実務寄りでとても有難いです。CTC, Form26, 控除作業とか「あ~インド実務あるある~!」というのが極めて詳細にかつ精緻にまとまっていて、インド在住の身としては、とても助かります。「バンガロール ブログ」で検索しても、堂々の上位検索に位置して、いろんな人に読まれているのだなぁと実感。
【リンク】
【おすすめの記事】
圧巻の一言。実務的にとても助かる記事です。フローのまとめや英語文言の解説が素晴らしいです。
ということで、純粋なインドブログリストまとめになってしまいましたが、他にもおススメのブログがあれば教えてください! 今度は「インド ブログ」で上位に来ているブログリストの整理でもしてみましょうか。
安倍首相訪印に向けて:インパール作戦とは何ぞや?
前回の記事からやや時間が開いてしまいましたが、安倍首相のインド訪問の概要が徐々に見えてきたのでしょうかねぇ。
【前回の記事:特別戦略的グローバルパートナーシップ】
【安倍首相のインパール訪問報道】
www.shimotsuke.co.jp引用元:https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/249728
デリー、アーメダバードは行っているので、首相クラスが訪問するなら、バンガロール(個人的願望)・ハイデラバード・インパール(歴史的背景をもとに)らへんかなぁと思っていた矢先、このインパール訪問という報道が出てきて、ある種、日印関係にとって「インパール作戦」の舞台となったインパールに訪問するのは歴史的に確かにという印象を受けます。
ということで、首脳会談の各サマリの前にこの「インパール作戦」について振り返ってみようと思います。
1. インパールの地理的位置
まずはこの作戦について概要見る前に、インパールの地理的位置についておさらいしてみましょう。
場所としては、北東7州エリア、マニパール州の州都となります。ミャンマーとの国境線になりますね。東側にアラカン山脈(ナガランド州からミャンマー南部まで)が広がっています。
【地図】
引用元:Google Map
(紫色がアラカン山脈概略を示したマーカー)
2. インパール作戦の概要
では、インパール作戦の概要を見てみましょうか。
- 時期:1944年3月~1944年7月
- 戦線エリア:ビルマ方面
- 参加兵力:大日本帝国陸軍(約9万人)、大英帝国軍、イギリス領インド軍(約15万人)
- 日本軍の戦略目標:援蒋ルートの遮断
- 作戦行程:アラカン山脈を抜いて、インパールを占領する。短期決戦(3週間)
援蒋ルート:中華民国(今の台湾)として大日本帝国と日中戦争を戦っていた蒋介石に対する連合国の補給支援ルートの総称。ビルマ・インド間にも存在して、インパールがイギリス側の拠点となっていました。
結果:日本軍の壊滅的敗北
敗北の原因:兵站崩壊、雨季による進軍停滞、イギリス軍の強烈な反攻
上記の地図にもあったように、アラカン山脈を一気に抜いて短期決戦でインパールを陥落せしめるという作戦でしたが、イギリス軍の頑強な抵抗にあい、補給が切れ、兵站も崩壊して戦闘での戦死よりも撤退戦での戦死が多いという状態になってしまったようです。
3.インパール作戦関連のメディア情報(書籍、ドキュメンタリー)
3-1失敗の本質日本軍の組織論的研究
この本は外せないかと。全般的に太平洋戦争(大東亜戦争)にて日本が負けた戦い(ミッドウェー海戦、沖縄戦、インパール作戦、ガダルカナル作戦、レイテ沖海戦)と ノモンハン事件を焦点に充てて、日本軍の「戦い方」で何がいけなかったのかを分析して「負け」の原因を突き詰めています。負けた原因を、戦力の逐次投入、人間関係を忖度した作戦立案、過去の成功体験への過度の拘り等等と分析しており、学びが多い一冊となっています。
3-2無謀と言われたインパール作戦 戦慄の記録
戦争のドキュメンタリーとしてはNHKも外すことはできません。圧巻です。作戦従事者からのインタビュー、当時の機密資料から積み上げた「インパール作戦」の全容が浮かび上がってきます。
いくつか引用してみましょうか。
「杉山参謀総長が『寺内(総司令官)さんの最初の所望なので、なんとかしてやってくれ』と切に私に翻意を促された。結局、杉山総長の人情論に負けたのだ。」(眞田穰一郎少将手記)
冷静な分析より組織内の人間関係が優先され、1944年1月7日、インパール作戦は発令されたのだ。
「(1人でいると)肉切って食われちゃうじゃん。日本人同士でね、殺してさ、その肉をもって、物々交換とか金でね。それだけ落ちぶれていたわけだよ、日本軍がね。ともかく友軍の肉を切ってとって、物々交換したり、売りに行ったりね。そんな軍隊だった。それがインパール戦だ。」(第31師団 衛生隊 元上等兵 望月耕一さん(94))
引用元:https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20170922/index.html
4.インパール平和資料館
インド側でも忘れちゃいけない戦争の記憶として残そうよ的な報道もちらほらあります。当時地元から志願してイギリス軍で戦った方が語り部となっているようです。
引用元:Battle of Imphal & Kohima: India’s forgotten war
加えて、日本側でもこのインパール作戦の記憶を風化させないためにも、「平和資料館」を作ろうという動きがあり、結果2019年6月に平和資料館ができたという次第です。
友人に見せてもらったものですが、おそらく「軍票」と思わしき資料。ビルマ戦線なので、ルピーとなっていますね。
軍票:大日本帝国軍が通貨の代わりに使用していた票。必要な資材や労働力の代償として発行されていた。支払いの代替手段として使用されていました。
*戦後の補償については、サンフランシスコ講和条約で連合国が請求権を放棄したので日本政府は補償しなくていいということになっているようです。
とここまでで、後は実際に平和資料館に行って現場を見ないと感じ方やどんな雰囲気なのか分からないので、一旦筆を置きます。インパール作戦の概要が紹介できていれば幸いです。
安倍首相訪印に向けて:日印関係における特別戦略的グローバルパートナーシップ
ちょっと前に「12月安倍首相訪印決定」なニュースが流れたので、あー日印シャトル外交も、もうそんな時期なんやねと思う今日この頃。ということで、改めて日印の二国間関係についてちょっとまとめておこうと思った次第。
学部の勉強でこーいう二国間関係の勉強をガチでやっておけば良かったと痛恨。
二国間なら、ケネスウォルツを使えばいいのかな(知っている言葉を連呼してみる。)
【安部首相訪印ニュース】
どうやら、12月16日なんですかね。
独自 安倍総理 12月16日からインド訪問へ モディ首相と会談:ワールドビジネスサテライト(WBS):テレビ東京
では、二国関係について見ていきましょうか。やや日本主体目線ですね。
1.「特別」戦略的グローバル・パートナーシップ
いきなりパワーワード感満載な単語が出てきましたが、日印2国間を表す言葉としては適切なのではないでしょうか。戦略的グローバルパートナーシップでしかも「特別」ってすげぇなと思う訳です。EUとの日EU戦略的グローバルパートナーシップよりも上位互換的な雰囲気が漂ってきますね。
1-1特別戦略的グローバルパートナーシップとは?
では、そもそもこの特別戦略的グローバルパートナーシップとはなんぞや?っていうところかは入っていきましょうか。直近のモディ首相の日本訪問時での宣言から引用すると以下の感じですね。特に「日印関係は世界で最も可能性を秘めた二国間関係」って表現が最上級過ぎてビビりますw
日印特別戦略的グローバル・パートナーシップは,歴史に深く根差し,共通の価値観に基づくものであり,両国の国民にとってのより良い未来の実現に向けて,共通の戦略的目標を前進させ,平和,繁栄及び進歩を達成するための主要な源泉である。(中略)日印の間で学術的,精神的,学究的交流の長い歴史を通して共有されてきた,自由,人道主義,民主主義,寛容性,非暴力という普遍的な価値は,日印二国間関係の基礎をなすのみならず,インド太平洋地域及び世界全体の利益のために協働する原則を強調するものである。
引用元:日印ビジョンステートメント
https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000415828.pdf
年に一度の相互訪問は日印関係飛躍の原動力,強いインドは日本のためになり,強い日本はインドのためになる,日印関係は世界で最も可能性を秘めた二国間関係
引用元:日印首脳会談
河野外務大臣(当時)のインタビューも理解促進に繋がりますので、おいておきますね。インドは日本にとって円借最大ですし、第三位の対印投資国ですしね。
【インタビュアー】7日の日印外相間戦略対話及び貴大臣によるモディ首相表敬に関する日本国外務省の報道発表では,インドが「自由で開かれたインド太平洋を実現するための最重要パートナー国」と表現されている。その根拠を伺いたい。
【河野外務大臣】インドは我が国ODAの最大の受益国であり,我が国は第3位の対印投資国である。1,500社以上の日系企業が当地で活発に営業している。自由で開かれた海上交通路を確保することは,アジアのみならず,アフリカ~中東から太平洋を越え米国西海岸に至る巨大な経済圏の経済的繁栄を享受するのに不可欠。両国は,このような共通の価値観を携える仲間であり,インドはこの構想の実現において最も重要なパートナーである。両国は,経済的繁栄のために連結性の確保にしっかり取り組む必要があり,沿岸部の法執行能力向上においても協力していかなければいけない。日印関係はさらに強化されるべきであり,自由で開かれたインド太平洋を実現するための最重要パートナーと表現されることは,自然だと感じる。
引用元:WION(インド)による河野外務大臣インタビュー
(2019年1月10放映)
1-2「特別」な戦略的グローバルパートナーシップができるまで
続いて、歴史的な変遷をみていきましょうか。始まりは森総理時代(2000年)の「日印グローバルパートナーシップ」設立で握り、小泉政権下で具体的な形にして言った印象を受けます。以下リンクと各首脳会談における宣言と冒頭の目的文言の引用をどうぞ。ってことは、2020年で戦略的グローバルパートナーシップが始まって節目の20年ということになるのでしょうか。となると、次の安倍首相訪印はその下準備と新たな宣言発表ということになる?というのは考えすぎですかねw
日本とインドは、持続的発展を基礎に平和、安定及び繁栄の均霑を内容とするグローバル・ビジョンを共有する。民主主義的価値観並びに人権、多元主義、開かれた社会及び法の支配へのコミットメントを共有していることが両国間のグローバル・パートナーシップの留め金である。このグローバル・パートナーシップは、両国の長期的な政治的、経済的及び戦略的利益、希求、目的、関心が幅広く合致していることを反映するものである。日本とインドは、そのグローバル・パートナーシップに則り、世界規模及び地域的な挑戦に対応する責任と能力を有するパートナーとして互いを認める。したがって、力強く、繁栄し、躍動性のあるインドは日本にとっての利益であり、また、その逆もその通りである。以上の文脈において、また、現下の国際情勢に鑑み、両首脳は、日本とインドのグローバル・パートナーシップの戦略的焦点を強化することを決定した。
【参考:小泉首相日印共同宣言】
https://www.kantei.go.jp/jp//koizumispeech/2001/1210india.html
そんで、第一次安倍政権下で進化したみたいです。
安倍総理とシン首相は、両国がアジアで最も発展した民主主義国及びアジア最大の民主主義国として、アジアと世界の平和と安定に積極的な役割を果たさなければならないこと、地域的・世界的な挑戦に対応する責任と能力を有することを認識し、日印関係を更なる高みへと引き上げるため、「戦略的グローバル・パートナーシップ」の構築を決意した。
青文字で書いてみましたが、日印関係について、日本政府からしたら、めちゃくちゃ特別扱いですげーわ、、、の一言ですね。戦略的グローバルパートナーシップに格上げ後、毎年交互に両国首相が訪問し合う関係って中々ないんじゃあないですかね。
1.政治、防衛、安全保障における協力
(1)首脳の訪問を毎年相互に実施し、国際会議の際に首脳会談を実施することを確認。引用元:https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/india/visit/0612_gps_ks.html
いつ「特別」になったかというと、2014年ですね。第二次安倍政権下ですね。
両国民の発展及び繁栄の継続のため,並びに,アジア及び世界の平和,安定及び繁栄の促進のために,日インド戦略的グローバル・パートナーシップの可能性を最大限に発揮することを誓った。両首脳は,両国の関係を特別な戦略的グローバル・パートナーシップに引き上げつつ,今般の会談を日インド関係の新時代の幕開けと称した。
会談を経る度に、どんどん内容がアップデートされていっている印象です。以下は特別戦略的グローバルパートナーシップを締結した後の安倍首相のインド訪問時における共同宣言骨子です。
両首脳は,二国間の関与の方向性に満足の意を表明し,成長のための最大の可能性を持つ重要な関係である日印特別戦略的グローバル・パートナーシップを,両国の長きに亘る政治的,経済的,戦略的目標の広範な収束を反映した深淵かつ広範な行動指向のパートナーシップに,移行させることを決意した。
この日印ヴィジョンを見てみると、ざっくりとこんな感じですかね。
- 安全保障:もっと親密にしようぜ、情報も相互共有しましょう、インド洋シーレーンの安全保障を保全しようぜ(暗に中国を意識か)
- インフラ:灌漑設備、鉄道、工業団地、輸送網わっしょい、もっとODAいこう!
- 文化:お互いビジネスしやすいようにビザ緩和、都市間交流も盛んにしていきましょう!
- 投資:双方向での投資も促進しましょう!「日本・インドIoT投資イニシアティブ」はインドから対日投資もよろ!
この内容でさえも2015年当時なので、どんどんガチ度合が増していっているように思えます。
後、2019年でも直近の4カ月で3回日印首脳会談をしているんですよねぇ。
6月:大阪、9月:ウラジオストク、11月:バンコクとかなりハイペース。
他の首脳と比べると明らかに回数多いし、日本がインドを特別な国として見なしている証左と考えられます。
森政権から足掛け20年でここまで親密な二国間関係が形成されてきたのは凄いですわ。少し文字数が多すぎてしまうので、この関係性から生まれて来た成果については次の記事で紹介します!
【備忘録】カルナータカ州創立記念日によせて:マイソール王国の歴史その1
某マルクスパイセンが「歴史は繰り返す」って言っていたけど、けっこーその言葉尻だけは信じている口です。「11月1日」はバンガロールが州都として所属しているカルナータカ州の祝日(州創立記念日)ということでカルナータカ州は全般的に休みってことらしいです。今更ですが、この州の歴史を近世くらいまで遡ってみようと思います。
(意外と分量が多くなってしまったので何回かに分けるかもです。)
1.カルナータカ州成立までの流れ
州としての成立までの流れをざくっとまとめてみますよ。
1-1カルナータカ州成立年表
【年表】
年 | 出来事 |
1947年 | マイソール藩王国のマハラジャがインド連邦への合流へ合意(サイン)、マイソール州成立。州都はバンガロールに設定される。 |
1956年11月1日 | States Reorganisation Act(インド州再編成法)により、マハラシュトラ州などからカンナダ語圏が加わり、今の州のエリアが確定。 |
1973年 | マイソール州からカルナータカ州へ州名が変更。 |
この1956年11月1日が記念日に制定されたっぽいですね。使われているローカル言語で州を再編成して地方自治をしやすしくようとしていたみたいです。カルナータカ州ではカンナダ語がメイン言語として見なされたようですね。
1-2カルナータカ州の州旗
調べてみると、カンナダ文化の象徴として州旗構想があったみたいですが、中央政府との関連で沙汰無しになっているような感じですかね。てか国民会議派よりだった州政府から与党BJP寄りの州政府に変わったら、「いやインド国旗あるでしょ!」という展開になったくさいですね。黄色・赤が基調になっているみたいですね。
州旗で思い出しましたが、州旗を模したご当地メニューということで、「バンガロール」巻き寿司も各種和食レストランで楽しむことができますよ!
2. マイソール王国って何ぞや
では、マイソール王国とは何ぞやってところからまとめていきましょうか。もしかしたら、「カーナティック戦争」、「マイソール戦争」、「マラーター同盟」とか聞いたことあるかもです。とはいえ、インド史自体があまり受験とかで出てこなかったから、ムガル帝国のアクバルから歴代皇帝くらいまでが皆さんのインド史イメージなのではないかと思う次第。
2-1 マイソール王国概要
大雑把にまとめると、14世紀から20世紀中ごろ(インド独立)まで南インドを支配していたヒンドゥー王朝ですね。途中、イスラム系宰相に牛耳られて傀儡化したり、スルタンって名乗る王様もいましたけど、ほぼ一貫してヒンドゥー王朝ですね。領域国家として南インドで強勢を誇っていたという感じですね。
【マイソール王国のエンブレム】
この双頭の鳥は「Gandaberunda」と呼ばれているみたいですね。双頭の鷲はローマ帝国由来ですので、「双頭」という意味においては類似しているのかもしれませんね。南インドでの帝国的なニュアンスで使っていたのでしょうか。ちなみにこのエンブレムは今でも州政府の紋章として継続利用されています。
引用元:https://www.karnataka.gov.in/English/Pages/k-departments.aspx
2-2 イギリスとの戦争:マイソール戦争(1767年 – 1799年)
18世紀後半にマイソール王国が大英帝国(東インド会社)による侵略(植民地攻勢)に対して4度に渡る戦争を経て支配下になった事象です。合計4回中、最初の2回はマイソール王国が優勢のまま終わり、残りの2回でイギリスに負けて支配下に敷かれることとなりました。
この戦争の特徴&戦後処理としては、
- 欧州大陸でのイギリスとフランスの対立(第二次百年戦争)がそのまま代理戦争ちっくにインドでも展開されました。マイソール王国はフランス軍事顧問団の支援を受けて、イギリスと闘っていた印象です。
- マイソール王国は他のインド系国家(ハイデラバードのニザム王国)と提携してイギリスと闘っていたけど、最後のタイミングで逆にイギリス側へ裏切られてしまい、多勢に無勢状態になってしまった。
- ちゃんと近代化していたから、マイソール王国単体でもけっこー強かった。
- 戦後、イギリスはマイソール軍を解散して、藩王国化するもマイソール王国から内政権を接収。反乱を警戒して、バンガロールに行政府を置いて、駐屯軍も設置した。ここからバンガロールの発展というか特徴が出て来たんかな。
2-3 軍事国家としてのマイソール王国
また、マイソール王国の英語文献や記事を見ていると軍事的に強かったみたいですね。特にティプー=スルタンの「ロケット兵器」が有名ですね。鋼製のロケット兵器で火薬つきで発射して爆発する仕組みのようです。
*再現動画ですが、5分くらいから実験が動画になっています。
当時、大砲か小火器がメインだったので、ロケット兵器は斬新だったかと。少なくともアジア圏内では似たような兵器はなかったはずです。中国の火槍とかもありましたが、威嚇用であまり攻撃力は高くなかったですね。
【使用シーン】
文献とかによると、この装備を持った兵士を5000人ほど抱えていたので、当時のマイソール王国は1)その技術を製錬できる基礎研究が充実している、2)技術を開発できるだけの資金がある=体制が整っている、と考えられますね。
2-4 ティプー=スルタン
マイソール戦争や植民地化前後のネタを調べていく中で、ティプースルタンは避けては通れない感じがしますね。街中にもちょいちょい記念銅像的なモニュメントが散見されていますし。
彼を名君たらしめているポイントとしては、以下でしょうか。
- 殖産興業を奨励した。
- 4回のマイソール戦争のうち、2回イギリスに対して優勢になった。
- 反イギリスを貫いて戦死した。
- 「マイソールの虎」の異名を持ってイギリスからも警戒された。
- 異文化に精通しており、様々な外交儀礼を学んでいた。
個人的には、今までまとめてきた基礎的な素地があったから、今のハイテクシティバンガロールができたのではないかと思う今日この頃です。次の記事ではもうちょっと現代に話を巻き戻して歴史をおさらいしてみます。
【備忘録】インド・バンガロールで開催されるスタートアップイベント一覧:その2
はい、前回からの続き。インド・バンガロールで開催されるスタートアップイベント一覧その2ですね。
今回は下表の3以降のバンガロールでのスタートアップイベントを紹介していきましょうか。
- 1. Zinnov Confluence
- 2. TechSpark
- 3NASSCOM PRODUCT CONCLAVE
- 4 Bengaluru Tech Summit
- 5バンガロールのスタートアップイベントの総括的な
【バンガロールで開催される主なスタートアップイベント】
No | イベント名 | 時期 | 規模感 | URL |
1 | LetsIgnite Bangalore | 6月 | 1500人 | https://letsignite.in/ |
2 | HeadStart X | 6月 | 1500人 | https://headstart.in/initiative/entrepreneurship-conclave/headstart-x-2019-bridging-ecosystem |
3 | Zinnov Confluence | 6月 | 4000人 | https://confluence.zinnov.com/india |
4 | TechSpark | 10月 | 3000人 | https://events.yourstory.com/techsparks |
5 | NASSCOM Product Conclave | 11月 | 4000人 | http://productconclave.in/index.html |
6 |
Bengaluru Tech Summit |
11月 | 3000人 | https://www.bengalurutechsummit.com/ |
1. Zinnov Confluence
イノベーション系のコンサルティングに強いブティックコンサル、Zinnovの年次イベントですね。Zinnov自体はUSAとベンガルールに支店を持っておりますが、ファウンダー達がUSA由来のNRI(Non Residencial Indian)ということでインド色が強いですね。
JETROのイノベーションハブ事業でも関与されているので、腕前は一級という感じですね。このレポートとかかなり秀逸ですね。
【インドにおける R&D の概況】
https://www.jetro.go.jp/ext_images/world/asia/in/ip/pdf/overview_RD_201410.pdf
【Zinnov/URL】
残念ながら参加できなかったので、レポはなしですが、豪華なスピーカーと選抜されたピッチがすごそうな印象です。 デリーでもイベントがあったら参加してみたいですね。
2. TechSpark
インドが誇るスタートアップメディア、YOURSTORYの年次イベントですね。YOURSTORYは日本でいうところの、THE BRIDGEやTech Crunch的な位置づけですかね。ここで単独インタビューを受けることができれば、スタートアップとしての「箔」がつくらしい。北のInc42とは対をなす印象。(お互い比較されることをとても嫌がるけどww)FounderのMs.Shradha Sharmaはタイムズオブインディアから起業して一代でYOURSTORYのブランドを確立した女傑的存在ですね。
【YOURSTORY/URL】
ありがたいことに、今年はJETOROさんによるジャパンブース&VCやエコシステムのプレイヤー向けにピッチ機会も提供いただきました。
2-1会場の雰囲気
2-2参加してみての感想
- Tech30のピッチが最大の目玉。選抜されたシリーズA前やシード期のスタートアップによるプレゼンが最高。
- 参加者のレベルも全般的に高い。フォローアップコールがつながりやすい印象。
- 反面、VCは少なめ、というかクローズドセッションに集中していたかと思案。
- ブースはフード系や試供品周りの会社が多いイメージ。CISCOとかのアクセラレータもポートフォリオを展示していた。
3NASSCOM PRODUCT CONCLAVE
天下のNASSCOMの年次イベント。NASSCOMっていつも何の略が分からなくなってしまいがちですが、National Association of Software and Services Companiesって感じでインド国内のITサービス関連企業の巨大業界団体ってところですかね。広島県とMOUを締結していたような気がします。直近ではデロイト・在日本インド大使館と組んでイケているインドのスタートアップを東京九段下でピッチさせていましたね。
【25社のスタートアップが日本のVCを前にプレゼン】
イベントそのものには予定があって参加できなかったですが、インド→日本の流れができて面白かったのではないでしょうか。
【NASSCOM/URL】
確か町によって機能が異なっていたり、委員会制度をとっていたりと、活動は多岐にわたる印象を受けます。例:バンガロールだったら、スタートアップ10000Warehouseという専用インキュベーションセンターを保有しています。
4 Bengaluru Tech Summit
州政府主導のスタートアップサミットですね。とりあえず各国がスポンサーして「うちの国かもん!コラボしようず!」的な感じを醸し出していますね。やや国間の競争というか代理戦争的な雰囲気も醸し出しているようないないようなwブースも大学からスタートアップまで多岐にわたり、面白かった印象です。てかもう1年も経つのかww
4-1会場の雰囲気
4-2参加してみての感想
- 他のイベントと比べて、かなり政府色が強い。欧州系やイスラエルがこれでもかと出てきている。
- 各国が盛んに自国をアピールしてインドのイノベーションを巻き込もうとしている。イスラエルやドイツは滅茶苦茶鼻息荒そう。
- やや総花的なイベントだけど、集客力凄い。
- 州政府関係者と接点を持つならいいかもしれない。
5バンガロールのスタートアップイベントの総括的な
総括するほどでもないかもですが、地雷イベントと秀逸なイベントを見分ける方法としてはこんな感じなんでしょうかね。インドも日本もそこまで変わりはないんですかね。
- 参加費有料で参加者の足切りがちゃんとしている(=うさん臭いメンター自慢おじさんや謎の業者を排除できている。)
- ピッチのフォーマットと参加企業が洗練されている。(昔参加した無料イベントで出てきたスタートアップはまさかのスライドなしのしゃべくり7プレイをかまして失笑しましたよw)
- 運営陣がしっかりしているかどうか(オーディエンスの集客やVC集めにコミットできているかは本当に重要ですね。出展者達、リアルにWaste of Moneyとか展示会途中でキレるのでww)
- ちゃんとイベントとしての歴史があるかどうか
少なくともその1その2で紹介したこれら6つのイベントは面白いし、あとからいろんな繋がりやビジネスになっていくのかなぁと思った次第です。